氣は情報である、とは?
昨日の記事で「氣とは情報であり、実際に存在しないもの」と書きました。
例えば、漫画やアニメなどの創作物は全て情報です。「いや、漫画って電子書籍もあるけど、紙の漫画として実物があるじゃないか」と思われる方もおられるでしょうが、あれは紙媒体はあくまで「紙にインクで印刷されたもの」です。肝心の漫画の中身(ストーリー)は読んで初めて認識できます。なので、情報です。
ゲームもそうですね。最近はスマートフォンのアプリのゲームが多いですが、家庭用ゲームの媒体のディスクがゲームショップで売られていますが、ゲームそのものはゲームをゲーム機本体で起動させて存在します。
そして、それらの情報(物理的に存在しないもの)を人間はリアルに認識できます。例えば「昨日、カッターナイフで紙工作をしていたら、うっかり手を切ってしまって・・・」なんて話すと、聞いている人は痛そうな顔をします。自分の手が切れたわけではないのにですよ。
氣もそうです。「ここに氣があるぞ」と思えば氣は存在します。そして認識します。
ここで「そんなあるのかないのかあやふやなもので、何が出来るんだ」と思われそうですが、色々出来ますよ。病気が確実に治る・・・とは言えませんが(主に法律的な意味で)、治ったというような報告はあります。
理論が続いたので、明日は実際にどんな技があるのか紹介します(多分)。具体的な例を挙げたほうが分かりやすいと思いますので。